助産師 竹内みどり

竹内みどり看護学校を卒業後、小さい頃からの夢だった看護師として働くことに期待で胸をふくらませていた時。大好きなおばあちゃんが余命1ヶ月の末期癌と宣告され目の前が真っ白になりました。

気持ちの整理がつかないまま、おばあちゃんは他界しました。
新人看護師として、一生懸命仕事を覚えないといけない時期に、おばあちゃんとの思い出がよみがえり、毎日のように涙を流していました。

今後、おばあちゃんのような終末期の患者さんに携わることになったとき、私はケアをしていけるのだろうか?看護師としてちゃんと関わっていけるのだろうか?と不安に感じていました。

1ヶ月悩み続けていた頃です。
配属された産婦人科・小児科病棟に切迫流産で長期入院されていたお母さんがお産をしたのです。切迫流産で入院していた頃と違って、とても満足した笑顔で赤ちゃんを抱いていました。その表情は素敵で、女性からお母さんに変わる瞬間を目の当たりにして、とても感動しました。「いのちってスゴイ!!」「お産ってスゴイ!!」私の気持ちは熱くなり、そのときに「助産師になりたい!」と思ったのです。

助産師になって十数年働き、たくさんのお母さんと出会い、かけがえのない命の誕生の場に立ち合わせて頂き、幸せな時間を過ごすことができました。

3年ほど前に以前勤務していた施設で、助産院として生涯の先輩である神津トミ子さんと出会いました。人間味あふれるパワフルな女性です。私は、神津さんには母乳育児の素晴らしさを教えていただきました。「母乳育児」は、最も自然な密着型育児で、それをじっくり見守りケアをしていくことで、助産師としての役割を達成していくのです。それは、お母さんにとって今後の育児への自信にも繋がり、また私の活力にもなっていきました。

2008年。転機が訪れました。
当時小学3年生になる私の娘が、授業の中で「将来の夢について」というテーマで自分の新聞を作りました。彼女は、新聞にこう書いていました。
「私の夢は、お母さんと同じ助産師になることです。たくさんの赤ちゃんに囲まれて、お母さんと一緒に働きたいです。」
という内容でした。
これを読んで嬉しくなったのは当然ですが、こんな風に考えていたんだーと目から涙があふれそうになりました。

「親の背中を見て子は育つ」と言われる中、今の私が彼女の目にどのように映り、ちゃんと後ろ姿を見せていけるのかと悩んでいる事を、たんぽぽ助産院の虫明さんに相談しました。虫明さんは、私の気持ちを大切に受取めてくれ、色々話あった末に、2009年4月よりたんぽぽ助産院に仲間入りさせて頂きました。

これからも、1人1人のお母さんに向き合って、お産・母乳育児をサポートしていきたいと思っています。そして、娘に誇れる後ろ姿を見せていたきたいと思っています。よろしくお願いします。

 
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